
赤ちゃんを可愛いと思えないのは、愛情がないからではありません

夜中の授乳が終わって、赤ちゃんの顔を見ています。
小さな手が、自分の指をにぎっている。ここで「可愛い」と思うはずの場面だ、と頭では分かっている。
でも、何も起きません。浮かんでくるのは「早く寝てほしい」だけ。それから、そう思ってしまった自分に対する、静かな落胆。
「赤ちゃん 可愛いと思えない」。そう検索して、このページにたどり着いた方もいらっしゃるかもしれません。検索したあと、履歴を消した方もいるかもしれません。
その言葉を打ち込むまでに、どれだけ時間がかかったかを思います。
同じように感じている方は、少なくありません。
その気持ちを、言葉にすると
「可愛いと思えない」と「愛していない」は、別のことです。それが同じものとして、自分の中で結びついてしまっている。
おそらく、いちばんつらいのは、感情が動かないこと自体ではないと思います。
つらいのは、動かない自分をどう解釈するかのほうです。
「可愛いと思えない」という事実は、そこで止まっていてくれません。次の瞬間には「愛情がないのかもしれない」に変わり、その次には「私はこの子の母親に向いていない」になっている。そして最後に、「産まなければよかったと思っているのではないか」という、いちばん怖い場所まで連れていかれる。
実際には、あなたはそんなことは一言も言っていません。 感情が動かない、と思っただけです。それなのに、自分の中で勝手に翻訳が進んで、いちばん残酷な意味に置き換えられてしまう。
健診で「可愛いですね」と言われて、「ありがとうございます」と返す。その数秒のあいだに、自分だけが嘘をついているような感覚になる。
スマートフォンの写真フォルダには、赤ちゃんの写真がたくさん入っている。撮っている。ちゃんと撮っている。でも、見返したときに、何を感じればいいのか分からない。
母子手帳の余白に、書けないことがある。
あなたは、母親失格だと思っていませんか。
そう思っている方に、まず伝えたいことがあります。この記事には、「いつか可愛いと思えるようになりますよ」という保証は書きません。それは誰にも約束できないことですし、渦中にいる方にとって、先の話は今日を過ごす助けになりません。
ここで扱うのは、今日その感覚を抱えたまま、どう過ごすかのほうです。

同じように感じている人は、少なくありません
この悩みについては、精神科と産婦人科の二つの学会が、公式にQ&Aを設けています。
公益社団法人 日本精神神経学会と公益社団法人 日本産科婦人科学会は、「こころの不調や病気と妊娠・出産のガイド」というページの中に、「出産後に『赤ちゃんがかわいいと思えない』『赤ちゃんとの絆が築けない』と感じる方のためのQ&A」という項目を独立して置いています。
これは、少し立ち止まって考える価値のある事実だと思います。
学会が公式のガイドに項目を立てるのは、その相談が実際に数多く寄せられているからです。まれな例外のために、二つの学会が連名でページを作ることはありません。
もうひとつ、別の資料の話をします。
富山県が公開している「『産後うつ病』のこと、知ってほしい」というページには、産後の状態にある方が周囲に相談できない理由として、こうした心理が挙げられています。
「赤ちゃんがかわいく思えないなんて言ったら、ひどい母親だと思われてしまう」
これは、行政の資料に「相談できない理由」として載っている一文です。
つまり、この気持ちも、それを言えないという感覚も、あなた一人の中で生まれた特殊な発想ではありません。 行政が把握し、対策の対象として書き出すほど、共通して起きていることです。
言えないのは、あなたが閉じているからではありません。言った瞬間にどう見られるかを、正確に予測できてしまうからです。
出典:出産後に「赤ちゃんがかわいいと思えない」「赤ちゃんとの絆が築けない」と感じる方のためのQ&A|公益社団法人 日本精神神経学会・公益社団法人 日本産科婦人科学会/「産後うつ病」のこと、知ってほしい|富山県
なぜ、そう感じるのか
感情が消えているのではなく、感情を動かすための余力が残っていない。順番として、そう考えるほうが実際に近いかもしれません。
感情は、体力が残っているときにしか動かない
先ほどの学会のQ&Aには、こう書かれています。
「産後は、ホルモンバランスの乱れや不眠などで、どんな人でも心身の不調をきたしやすい時期」
ここで注目したいのは、「どんな人でも」という部分です。
心と体が消耗しているとき、いちばん最初に薄くなるのは、実は感情のほうです。喜びも、いとおしさも、感動も、余力がある状態ではじめて立ち上がってくるもので、何かを感じるという作業自体に、かなりのエネルギーを使っています。
数時間おきに起こされ、自分の食事の時間も読めず、トイレに行くタイミングすら計算しなければならない。そういう状態が何週間も続いているとき、感情が平らになるのは、機能が壊れたからではありません。残りの力を、生き延びるほうに全部まわしているからです。
※ ホルモンや体調の変化については、心理の立場からは判断できません。気になる点は、産婦人科の主治医や助産師にご確認ください。
あなたはすでに、行動のほうで答えを出している
感情が動かない一方で、あなたは何をしているでしょうか。
夜中に起きています。おむつを替えています。ミルクの温度を確かめています。寝ている赤ちゃんの胸が上下しているかを、何度も確認しています。
感情が追いついていないだけで、やっていることは、何ひとつ変わっていません。
愛情という言葉を、私たちは「感じるもの」だと思いがちです。けれど、実際に人を守っているのは、感じたかどうかではなく、そのときに何をしたかのほうです。
あなたは、感じられない日にも、ちゃんと守っています。
「自然に湧くはず」という、ひとつだけのものさし
「母親になれば、自然に愛情が湧いてくる」。
この言葉が難しいのは、それが「一つしかないものさし」として置かれていることです。
生まれた瞬間に強い感情が動く方もいます。何か月もかかって、少しずつ育っていく方もいます。きっかけが、はじめて笑った日だったという方もいれば、自分でも分からないうちに変わっていたという方もいます。
ものさしが一つしかないと、そこに当てはまらなかった全員が「失格」になります。 実際には、ただ時間の流れ方が違うだけのことなのに。
あなたが測られているのは、愛情の有無ではありません。時計の進み方が、世間の想定と違っただけです。
その時計の話を聞いてもらう場所として、産後の気持ちを聞くカウンセリングのような場所もあります。

抱えたまま過ごすための考え方
解決の方法ではなく、今日をやり過ごすための考え方を三つ並べます。どれかを選ぶ必要も、実行する必要もありません。
今日感じたかどうかを、自分に採点させない
「今日は可愛いと思えただろうか」と一日の終わりに確認する習慣ができていると、その確認そのものが、毎日の判決になってしまいます。
感情は、点検されると余計に出てこなくなります。確かめにいくのをやめるという選択肢もあります。
感じられた日を喜ぶ必要も、感じられなかった日を記録する必要もありません。今日はどうだったかを聞かずに、一日を終える日があっていい。
「可愛い」以外の言葉を、自分に許す
「可愛い」という言葉が出てこなくても、別の言葉なら出てくることがあります。
無事でいてほしい。このまま息をしていてほしい。何かあったら自分が代わりたい。──それは十分に、強い感情です。
「可愛い」は、その中のひとつの表れにすぎません。 表れ方が違うだけで、下にあるものは同じかもしれない。そう考えてみる余地はあります。
言葉が見つからなければ、見つからないままでも構いません。名前のついていない気持ちが、価値の低い気持ちだということはありません。

一度だけ、声に出して言ってみる場所をつくる
この気持ちのいちばん厄介なところは、口に出した瞬間の相手の反応が、事前に見えてしまうことです。
「そんなこと言っちゃだめだよ」「今だけだよ」。悪意のない言葉ほど、その先を話す気持ちを止めてしまいます。
だから、誰にでも話す必要はありません。言わない相手と、言っていい場所を分けておくだけで、抱え方が変わることがあります。
先ほどの学会のQ&Aでも、お住まいの地域の保健師や、母子の相談を行っているカウンセラーなど、相談できる先が案内されています。自治体の保健センターや子育て世代包括支援センターは、無料で、予約だけで話を聞いてくれます。
※ 気分の落ち込みが二週間以上続いている、眠れない、食べられない、自分や赤ちゃんを傷つけたくなる考えが浮かぶ。こうした状態が続く場合は、我慢せず、産婦人科の主治医か、精神科・心療内科にご相談ください。早く相談することは、弱さではありません。
その場所が身近に見つからないときは、産後の気持ちを聞くカウンセリングのような場所もあります。
※ 緊急にどうしたらいいか分からないときは、こども家庭庁の「親子のための相談LINE」でも相談できます。
一人で抱えなくていい
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
赤ちゃんを可愛いと思えないという言葉を、これまで誰にも言えないまま来たのだと思います。言えなかったのは、あなたが冷たいからではなく、言っていい場所がなかっただけです。
一人で抱える必要はありません。 うまく言葉にできないまま話し始めても大丈夫です。何がつらいのか自分でも分からない、という状態のまま話していただいて構いません。
話す相手が見つからないときは、産後の気持ちを聞くカウンセリングのような場所もあります。オンラインで、60分。赤ちゃんが寝ている時間に、家から出ずに話せます。
出産後の心と体の揺らぎを、そのまま話せる場所があります。
執筆:日本メンタル心理士アカデミー(メンシア)
監修:植田那月(臨床心理士・公認心理師)
看護師資格を持つカウンセラーと、臨床心理士・公認心理師が在籍するカウンセラー養成機関です。産前産後の方が相談できる場として、カウンセリングプラットフォーム「Perch」を運営しています。